1分1秒を競うのに意味があるのか


秒単位で運行しなければならないのか、分単位でしょ。1分1秒を競うのに意味があるのか。
出勤は、10分早く家を出る、9時でなければならないのか。
 
各駅停車で100km/h以上の速度は必要なのでしょうか。
 
列車 対 乗客 なら 10 対 0 で賠償です。
 
それにしても精神科医などの少なさ。

利益優先。金儲け主義。
 
失敗したらお客様の信用を失い儲けが減る。
事故などして営業停止や賠償など払ったら儲けが減る。
 
金を儲けるために安全第一

長期でやるなら、ちゃんとしないと儲からんと教わりました。が、ちゃんとしない人が多すぎると・・・。

遺族側、新たに米で提訴 ケーブルカー事故
 【ウィーン11日共同】2000年11月にオーストリアカプルンで起きたケーブルカー火災事故で、遺族側弁護士は11日、オーストリア政府などを相手に、米ニューヨークの裁判所で新たな損害賠償請求訴訟を10日に起こしたことを明らかにした。原告には日本人犠牲者10人全員の遺族が含まれているという。
 弁護士らによると、オーストリア政府やケーブルカー運行会社を相手にした訴訟と、ケーブルカーの部品などを製造したドイツ企業などを相手にした訴訟の2件で、犠牲者1人当たり1000万ドル(約12億円)を請求しているという。
 遺族側はこれまでにも米国で複数の訴訟を起こしているが、日本人遺族の参加を裁判所が認めないケースも出ている。
 同事故では、スキー合宿中の中学生ら日本人10人を含む155人が死亡した。
共同通信) - 4月12日0時0分

2006/04/24(月)
福知山線事故1年 意識改革し魂の入った安全策を
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017200604245168.html
 JR福知山線脱線事故からあすでまる一年となる。
 乗客百六人と運転士が死亡、乗客五百五十五人が負傷したJR史上最悪の大惨事である。
 事故を教訓にした安全対策がハード面を中心に進められているのは確かだ。が、ミスや事故はその後も絶えず、ハードに魂を入れるべき意識面の改革は道半ばというしかない。
 国土交通省事故調査委員会兵庫県警は、大幅な速度超過で現場カーブへ進入したのが事故の主因と断定した。
 問題はその背景だ。事故を起こした列車は始発の宝塚駅に入る際、列車自動停止装置(ATS)が二度作動して非常停止した。事故直前の伊丹駅ではオーバーランし、定刻より約一分二十秒遅れていた。
 運転士には相当な重圧だったはずで、精神状態の解明が焦点となる。私鉄への対抗からダイヤ編成に余裕がなくなり、遅れなどには懲罰的な「日勤教育」が待っていたからだ。
 批判を受けて、JR西日本日勤教育の内容や日数を見直した。さらに軽度のミスに当たる「事故の芽」はマイナス評価しないよう改め、積極的な報告を促してもいる。
 それでも運転士らは「会社はまだ信用しきれない」という。旧国鉄時代にさかのぼる労使の相互不信の根深さを見てしまう。企業風土の根本的改善を欠いては、どんな見直しも画餅(がべい)に終わると自覚するべきだ。
 三月には「ゆとりダイヤ」を始めたが、停車時間が増えた半面、区間によっては運転時間が逆に短縮されたという。これでは余裕の少なさに大差はない。実際、共同通信のアンケートで、運転士の七割が十分な余裕を感じないと答えた。
 現場カーブにATSが未設置だったことが問題になり、JR西日本は、国交省が事故後に定めた基準以上に設置を進めている。これにしても肝心なのは運用する人間の意識だ。一方では車体強度のアップを先送りするなどハード面にも課題は残る。
 JR西日本は利益優先と批判された経営理念を「安全第一」で始まる企業理念へ改めた。問題は隅々までいかに浸透させ、生きたものにするかだろう。
 その点でも疑問符がつく。鳥取県伯備線で一月、保線作業中に特急にはねられ、三人が死亡した事故は、四年前の救急隊員の死傷事故と重なる。先日も滋賀県内であわやという類似のトラブルがあった。安全第一の誓いは早くもかすんでいる。
 JR西日本に対しては業務上過失致死容疑で捜査が進む。信楽高原鉄道の衝突事故などでは責任追及があいまいに終わったが、そのことが事故の芽を温存した面はなかったか。
 鉄道事業者として恐れるべきは事故を繰り返すことであり、それには苦しくとも逃げずに刑事責任に向き合う責務がある。
 犠牲者遺族や負傷者らの十分なケアは当然だ。同時に、事故原因を徹底解明して責任を明確にし、納得のいく再発防止策を示すことも、そうした人たちにこたえる第一歩であるはずだ。