水俣病、アスベスト、死ぬまで待つの
水俣病、260万円
アスベスト(石綿)も
260万円 だと、
1400万円でも少ない。
教訓生かされぬまま 石綿禍、構図重なる 「国策優先」、被害を拡大
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/20060501/20060501_002.shtml
公式確認から50年を迎えた水俣病問題。その教訓は生かされてきたのか。今の行政の姿勢に大きな疑問も横たわる。典型例の1つはアスベスト(石綿)禍問題。初期対応を怠り、被害を拡大させた構図は水俣病と重なる。半世紀を経て水俣病被害の全容解明すら棚上げにした公害行政は文字通り「原点」へ立ち返ることを求められている。
水俣病が終わらぬ悲劇であることを社会に突きつけた2004年の関西訴訟最高裁判決。そこでは、チッソの排水を止めさせず被害拡大を招いた行政責任が断罪された。発生は防げないまでも起きた被害をいかに最小限にとどめるか。「疑わしきはまず止める」こそ、水俣病から学ぶ教訓だ。
法的責任を否定してきた国も、その反省に立ち1971年に環境庁を設立、公害の未然防止に動いた。その時期に、実は根を広げていたのがアスベスト禍だった。
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高度経済成長期、建設資材などに大量に使用された。中皮腫や肺がんの危険性が世界で指摘されたのは72年。環境庁もその情報を把握していた。80年代の米国では集団訴訟も続発した。
日本では75年、特に危険な石綿吹き付け作業を原則禁じたものの、全面禁止したのは2004年。経済成長という国策が被害を深刻化させた点も水俣病と共通する。
公害問題に詳しい木野茂・立命館大教授(環境学)は「危険性に気付いた時点で規制に取り掛かっていれば、今日の被害拡大は防げたはず」と指摘する。
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長年蓄積された被害の露見を受け、政府は今年3月に石綿健康被害救済新法を施行。労災の対象にならない被害者の救済に乗り出した。しかし、公害とは認めなかった。
1000万円以上の一時金支給を柱とした公害健康被害補償法に対し、新法は280万円の特別弔慰金と医療費が柱。95年の政治決着による水俣病未認定患者への一時金260万円プラス医療費とほぼ同水準だ。「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」関西支部の古川和子さんは「良くない点を水俣病に学んでいる」と批判する。
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「行政は社会から超越した存在ではない。やらなかった行政とともに、やらせなかった社会全体に責任がある」。環境省幹部の1人は反論する。しかし、庁から省へと独立した環境省の使命は、経済成長優先の行政を改め、過ちを繰り返さないことではなかったのか。
小池百合子環境相が設置した水俣病の有識者懇談会は現行制度維持にこだわる政府に反発。「5・1」に予定していた提言を見送り、最高裁判決も踏まえた抜本解決策をまとめようとしている。
「公害の原点である水俣病問題を解決できない以上、今後の公害にも対応できない」。木野教授は話す。水俣病を決して過去のものとはせず、アスベストも含めた現実の被害と真に向き合ってこそ「教訓」は生かされることになる。 (東京報道部・久永健志)
=2006/05/01付 西日本新聞朝刊=
2006年04月30日23時55分
<水俣病>「慰霊の碑」完成 再生への決意刻む 熊本
不知火の海に在るすべての御霊(みたま)よ。二度と悲劇は繰り返しません――。熊本県水俣市に30日、「水俣病慰霊の碑」が完成した。慰霊碑には、病気や差別、偏見に苦しみながらも再生を目指す被害者や地域住民の決意が刻まれた。水俣病は1日、被害者救済の光が見えないまま、公式確認から50年になる。
慰霊碑は、水俣湾に排出された水銀を封じ込めるため、海底をしゅんせつして造られた埋め立て地に建てられた。
落成式典では、近くの「水俣メモリアル」に保管されていた犠牲者314人の名簿が、たいまつとろうそくの明かりに照らされ、市民が担ぐ神輿(みこし)に載せて運ばれた。井島政治・水俣病平和会会長が「(犠牲になられた)皆さんは国の宝であり、環境の宝、水俣の宝。私たちは現実をみつめ、憎しみ、差別を水に流し、二度と悲劇を繰り返さないことを誓う。安らかにお眠り下さい」と祈りの言葉を述べた。その後、参加者全員で黙とうした。
銅板に刻まれて納められた名簿は「認定患者」に限られた。しかも、差別を恐れる多くの遺族の意向で、刻まれた人は約2割にとどまるなど、水俣病が地域に与えた暗い影を引きずっている。
水俣病の犠牲者慰霊式は、1日午後1時半から慰霊碑前で行われる。患者や遺族のほか、小池百合子環境相、潮谷義子熊本県知事、原因企業チッソの後藤舜吉会長ら約1000人が参列する。【平野美紀】
◇国は患者が死ぬまで待とうとしている…作家、石牟礼道子さん
水俣病患者と寄り添ってきた作家、石牟礼道子さん(79)に、水俣の半世紀とこれからを語ってもらった。
――公式確認から50年を迎えます。
◆うちには年寄りたちが集まり、焼酎を飲みながら物語性に富んだ話をしていました。「昨晩は、わらすぐりというキツネやたぜという妖怪がススキ野で相撲を取ったり、踊ったりして、たいがいにぎおうたばい」っていうてねえ。連綿と受け継がれた神話の世界がありました。庶民は大変楽しんで生きてきた。今は風土ぐるみ、水銀の底になってしまいました。
――95年、水俣病未認定患者問題は政治決着したと言われました。
◆裁判を一切しないことを条件に260万円、という解決内容はひどかった。患者さんは「自分たちは長生きしない。三途(さんず)の川の渡し賃にもらう」と泣く泣く妥結させられました。何が決着ですか。あれで救われたと思う人は誰もいません。
――最高裁判決後、3800人が認定申請しています。国は認定基準を変えず解決の道筋は見えません
◆国は死ぬまで待とうと決心してるんじゃないですか。潜在患者がいるのが分かっていたのに、チッソの加勢をして、故意に患者さんを見捨ててきた。犯罪ですよ。犯罪に手を貸している。世界に知られた水俣です。当時20万人と言われた不知火海沿岸住民の健康調査など全世界が驚くような根源的な対応を打ち出すべきです。
――行政は水俣病の教訓を世界にと連呼しています。
◆何を発信するのかなと思います。実効の伴ったことを前提にしてほしい。被害者の方は「自分たちが体験してきたことはあまりにもむごかった。(チッソを)親、子供、一族のかたきと思っていたが、今になれば人間をそういう目に遭わせたくない。我々は1人も殺さなかった」と話してました。
ブッシュ(米大統領)さんに聞かせたいですよね。殺すことが快感のような世界になってますでしょう。身内を殺され、自分たちも殺されつつある患者さんの「1人も殺さない」という高度なモラル。これこそが、水俣の発信だと思うんですよ。【聞き手・加藤学】
(毎日新聞) - 4月30日22時38分
放射能汚染でも死者が出るまで何もないのでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/knt68/20060509/p1