今上天皇、報道で敬語

2006年6月8日
陛下報道で敬語なしを批判 文科相、教基法特別委で

 小坂憲次文部科学相は8日午前の衆院教育基本法特別委員会で、天皇、皇后両陛下が公園を散策されたことを報じた一部の新聞記事で敬語表現がなかったことについて「新聞だから、字数が限られているから、で済まされる問題ではない。敬語を使うべき方には敬語を使い、親しみを持つために使う言葉と敬語をうまく混ぜて伝えることが必要だ」と述べ、記事を批判した。
 安倍晋三官房長官はこれに関連し「個人的には」と前置きした上で「ここで敬語を使わなければ誰に敬語を使うのかと感じる。感じ方を強制するわけではないが、政治家個人としては違和感がある」と述べ、天皇、皇后両陛下を報じる記事に敬語を用いないことに疑問を示した。
 同時に安倍氏は「陛下への敬語の使い方は(報道)各社でニュアンスが違う。使い方に対して政府がとやかく言うべきではない。各社の判断と思う」とも述べた。
共同通信) - 6月8日12時45分

8日の衆院教育基本法特別委員会
http://www.shugiintv.go.jp/jp/video_lib3.cfm?deli_id=31131

歌わない自由の指導不適切 国歌斉唱で文科相
2006年6月8日
 小坂憲次文部科学相は8日午後の衆院教育基本法特別委員会で、学校現場での国歌斉唱の指導の在り方に関連し、「指導的立場の教師が『内心の自由があるから歌わなくてもいい』という言い方をすれば、逆の指導をしていると取られてもやむを得ない場合もある」と述べ、歌わない自由を生徒に伝えるのは適切な指導でないとの認識を示した。
 文科相はその上で「日本の国には国旗、国歌があることを客観的に教える。歌うか歌わないかは最終的に生徒がその場の状況で判断することはあるかもしれない。学習指導要領に従った方法で適切な指導が行われれば、(生徒に)素直に受け入れられる」と強調した。
 これに関連して、安倍晋三官房長官は「最初に立っても立たなくてもいいと教えれば誤解を与える」との考えを示した。
共同通信) - 6月8日19時51分

2006年5月30日
君が代判決>都立高の元教諭に罰金「懲役刑は不相当」

 04年の東京都立板橋高校の卒業式で、君が代斉唱時の起立に反対して式の進行を妨害したとして、威力業務妨害罪に問われた元同校教諭、藤田勝久被告(65)に対し、東京地裁は30日、罰金20万円(求刑・懲役8月)を言い渡した。村瀬均裁判長は「実際に式の遂行が一時停滞し非難は免れないが、妨害は短時間で、懲役刑は相当でない」と述べた。藤田被告は即日控訴した。
 被告側は「罰するほどの違法性はない」などと公訴棄却か無罪を主張。判決は「退場要求に従わずに大声を出したのは威力業務妨害罪の『威力』に当たり、開式が約2分遅れるなど『業務妨害』の結果が生じた。起訴は公訴権の乱用に当たらない」と退けた。
 判決によると、藤田被告は04年3月11日、同校体育館での卒業式の前、「異常な卒業式で、君が代斉唱時に教職員が立って歌わないと処分されます」などと父母らに斉唱時の着席を大声で呼び掛けた。校長らが退場を求めると「なんで追い出すんだよ」と大声を上げ、式の開始を遅らせた。
 藤田被告は式の2年前まで同校に勤務し、式の来賓だった。式の後、校長と都教委から異例の被害届が出され、在宅起訴された。03年10月の都教委の通達後、君が代斉唱時の不起立などで懲戒処分を受けた教職員は延べ345人に上る。
 判決後、藤田被告は会見し「懲役求刑に対し罰金判決は実質的に無罪と受け止めている」と語った。弁護団は「式での卒業生の不起立の責任を藤田さんに負わせようとしてでっち上げた事件」とする声明を読み上げた。【佐藤敬一】
 ▽都教育庁の話 判決文は見ていないが、当該行為の違法性が認められたことは一定の評価をしている。
毎日新聞) - 5月30日12時55分


8日午前の衆院教育基本法特別委員会で、天皇、皇后両陛下が公園を散策されたことを報じた一部の新聞記事
http://www.shugiintv.go.jp/jp/video_lib3.cfm?deli_id=31131



両陛下がお忍びで皇居外を散策
2006年 5月15日 (月) 06:07
http://www.asahi.com
 天皇、皇后両陛下は14日朝、皇居近くの北の丸公園をお忍びで散策した。両陛下は朝食前に皇居内を散策するのが日課だが、「外出」を伴った散策は極めて異例。宮内庁によれば、最近では03年8月に皇居外苑を散策して以来という。

 両陛下は出かける際に同公園そばを通ることが多く、以前から公園内での散策を希望していたという。この日、ともに軽装の両陛下は皇居・北側の乾(いぬい)門を徒歩で出発。途中の横断歩道では、赤信号で信号待ちする珍しい光景も見られた。数分で公園に到着した後、約30分間、植物を見るなど散策を楽しんだ。

 両陛下の姿に公園に居合わせた人は一様に驚いた様子だったが、両陛下は「おはようございます」と声をかけていた。犬の散歩中だった主婦は「母の日に合わせ、天皇陛下から皇后さまへのすてきなプレゼントになったのでは」と話した。

8日の衆院教育基本法特別委員会
http://www.shugiintv.go.jp/jp/video_lib3.cfm?deli_id=31131
森山委員長かぁ〜悲しくなる・・・
教育勅語は、これ
そして今は平時ではない。




宮内庁
2005年12月19日
http://www.kunaicho.go.jp/kisyakaiken/kisyakaiken-h17.html
天皇陛下のお誕生日に際しての記者会見の内容とこの1年のご動静


1 会見年月日: 平成17年12月19日
2 会見場所 : 宮殿 石橋の間

天皇陛下  最近,北陸地方を中心に各地を豪雪が襲い,各地に被害が生じ,死者も出ていることに心を痛めています。遺族の人に心から哀悼の意を表したいと思います。速やかに天候が好転し,人々が穏やかな生活に戻れるよう,そして,負傷した人々が順調に回復していくよう願っています。

 
問1  この1年,国内外で様々なことがありました。陛下は病の治療を続けられながら,戦後60年に当たってサイパンを慰霊訪問されるなど,数多くの公務に取り組まれました。初めての海外での慰霊についてのお気持ちや,かの地で感じたこと,今後の慰霊の在り方,次世代への継承などについて陛下のお考えをお聞かせください。
天皇陛下  質問に従って十分にお答えができるよう紙にまとめましたので,それに従ってお話したいと思います

 先の大戦では非常に多くの日本人が亡くなりました。全体の戦没者310万人の中で外地で亡くなった人は240万人に達しています。戦後60年に当たって,私どもはこのように大勢の人が亡くなった外地での慰霊を考え,多くの人々の協力を得て,米国の自治領である北マリアナ諸島サイパン島を訪問しました。そこにはこの地域で亡くなった戦没者のために国が建てた中部太平洋戦没者の碑があります。

 ドイツ領であったサイパン島は,第一次世界大戦後,国際連盟により日本の委任統治領となり,多くの日本人が移住し,砂糖産業や農業,漁業に携わっていました。

 昭和19年6月15日,米軍がサイパン島へ上陸してきた時には日本軍は既に制海権,制空権を失っており,大勢の在留邦人は引き揚げられない状態になっていました。このような状況下で戦闘が行われたため,7月7日に日本軍が玉砕するまでに,陸海軍の約4万3千人と在留邦人の1万2千人の命が失われました。軍人を始め,当時島に在住していた人々の苦しみや島で家族を亡くした人々の悲しみはいかばかりであったかと計り知れないものがあります。この戦闘では米軍にも3,500人近い戦死者があり,また900人を超えるサイパン島民が戦闘の犠牲になりました。またこの戦闘では朝鮮半島出身の人々も命を落としています。この度の訪問においては,それぞれの慰霊碑にお参りし,多くの人々が身を投じたスーサイド・クリフとバンザイ・クリフを訪れ,先の大戦において命を落とした人々を追悼し,遺族の悲しみに思いを致しました。

 61年前の厳しい戦争のことを思い,心の重い旅でした。ただ,高齢のサイパン島民にはかつて日本の移住者が島民のために尽くしたことを今も大切に思っている人がいることはうれしいことでした。私どもが島民から温かく迎えられた陰にはかつての移住者の努力があったことと思われます。

 この度のサイパン島訪問に携わった日本側の関係者を始め,米国側並びに北マリアナ諸島側の関係者に深く感謝しています。

 日本は昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって,また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います。

 戦後60年に当たって過去の様々な事実が取り上げられ,人々に知られるようになりました。今後とも多くの人々の努力により過去の事実についての知識が正しく継承され,将来にいかされることを願っています。

 
問2  清子様のご結婚について,現在のお気持ちと36年間の思い出,ご夫妻二人きりになった暮らしぶりについてお聞かせください。
天皇陛下  二人の結婚に対して,多くの人々が心のこもった祝意を寄せてくれたことをうれしく思います。

 二人が2年近く十分に話し合い,心を決めることができたことは非常に幸いなことでした。二人が結婚の日を迎えるまで,様々な面で力を尽くしてくれた多くの人々に深く感謝しています。

 清子は皇族として,国の内外の公務に精一杯取り組むことに心掛け,務めを果たしてきました。また家庭にあっては,皇后と私によく尽くしてくれました。

 私の即位の年に成年を迎えた清子が,即位の礼には,皇太子,結婚して4か月余りの秋篠宮とそろって出席し,私どもを支えてくれたことは心に残ることでした。

 清子の結婚後も私の日常は様々な行事で忙しく,今のところはそれ程変わったという感じはしません。皇后はさぞ寂しく感じていることと思いますが,今までにも増して私のことを気遣ってくれています。ただこれまでおかしいことで3人が笑うとき,ひときわ大きく笑っていた人がいなくなったことを二人で話し合っています。清子は心の優しい人でしたが,とても楽しいところがありました。

 新しい道が二人にとって幸せなものであるよう願っています。

 
問3  皇室典範に関する有識者会議が,「女性・女系天皇」容認の方針を打ち出しました。実現すれば皇室の伝統の一大転換となります。陛下は,これまで皇室の中で女性が果たしてきた役割を含め,皇室の伝統とその将来についてどのようにお考えになっているかお聞かせください。
天皇陛下  皇室の中で女性が果たしてきた役割については私は有形無形に大きなものがあったのではないかと思いますが,皇室典範との関係で皇室の伝統とその将来についてという質問に関しては,回答を控えようと思います。

 私の皇室に対する考え方は,天皇及び皇族は,国民と苦楽を共にすることに努め,国民の幸せを願いつつ務めを果たしていくことが,皇室の在り方として望ましいということであり,またこの在り方が皇室の伝統ではないかと考えているということです。

 女性皇族の存在は,実質的な仕事に加え,公的な場においても私的な場においても,その場の空気に優しさと温かさを与え,人々の善意や勇気に働きかけるという,非常に良い要素を含んでいると感じています。その意味でも皇太子妃の健康が現在徐々に快方に向かっていることは喜ばしく,一層の回復を待ち望んでいます。
 



会見:平成18年6月6日
天皇皇后両陛下の外国ご訪問前の記者会見の内容
http://www.kunaicho.go.jp/kisyakaiken/kisyakaiken-h18singapore-01.html

2004年10月28日
国旗・国歌「強制でないのが望ましい」天皇陛下園遊会
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200410280332.html
 天皇陛下は28日の園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士米長邦雄さん(61)から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけられた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べた。
 米長さんは「もうもちろんそう、本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」と答えた。
 天皇が国旗・国歌問題に言及するのは異例だ。
 陛下の発言について、宮内庁羽毛田信吾次長は園遊会後、発言の趣旨を確認したとしたうえで「陛下の趣旨は、自発的に掲げる、あるいは歌うということが好ましいと言われたのだと思います」と説明。さらに「国旗・国歌法制定時の『強制しようとするものではない』との首相答弁に沿っており、政策や政治に踏み込んだものではない」と述べた。
 「日の丸・君が代」をめぐっては、長年教育現場で対立が続いてきた。東京都教委は昨秋、都立校の式典での「日の丸・君が代」の取り扱いを細かに規定し、職務命令に従わない教職員を大量に処分。99年に教育委員に就任した米長さんは、こうした方針を推進する発言を繰り返してきた。(10/28)



皇室:日の丸、君が代「強制でない方が」−−天皇陛下園遊会で異例の言及 - 毎日新聞 2004年10月
皇室:天皇陛下「国旗国歌、強制でないのが望ましい」−−園遊会で米長氏に - 毎日新聞 2004年10月