抗議メール
在日米国大使館への電子メール
http://tokyo.usembassy.gov/j/info/tinfoj-email.html
〜以下。抗議メール。キャンプ・シュワブ司令官 殿
キャンプ・シュワブ所属米兵による一市民への不法・不当な暴力を糾弾し、謝罪を求める抗議書
去る2006年1月22日、日曜日、19時頃、キャンプ・シュワブ沿いの辺野古の砂浜で焚き火をしていた広島県出身の青年に対して、キャンプ・シュワブ所属の米兵3人がジープで駆けつけ、1人の米兵が民間地域に乱入して青年を押さえ込む暴力行為を行なった。さらに、砂浜に書かれていいた「FUTENMA BASEMOBE ONUSA」という内容の平和メッセージの場所に引きずられ、四つん這いでその文字を消すように強要された。その文字を消し終わると有刺鉄線のそばまで青年を連れて行き、有刺鉄線に結ばれていた「NO BASE」等の平和のメッセージが書かれていた多数のリボンを米兵のナイフで切り落とすように命じた。その後、砂浜に「SORY」と書かされた。
この一連の行為を強要した3人の米兵は恐怖で震える青年を大声で笑うなど侮辱した。私達は大きな怒りを覚える。
キャンプ・シュワブ沿岸地域は普天間移設先として、日米両政府の横暴な合意で決定した。沖縄県民の頭越しで決定した合意案は稲嶺知事や大多数の県民が反対している。その移設予定地で起きた蛮行に満身の怒りが沸いてくる。沖縄は戦場でもないし、植民地でもない。在沖米軍はこのことを肝に銘じなければならない。
私は 在日米軍に抗議する。
1995年10月21日
沖縄県宜野湾(ぎのわん)市にある海浜(かいひん)公園で行われた
8万5千人が参加した沖縄県民総決起大会
「もういや、平和な島を返して」
高校生代表普天間高校3年 仲村清子(すがこ)
「ヘリコプターはもう、うんざりです」。
私はごく普通の高校3年生です。
たいした言(こと)は言えないと思いますが、ただ思ったことを話します。
この事件を初めて知った時、これはどういうこと、理解できない。こんなことが起こっていいものかと、やりきれない思いで胸がいっぱいになりました。
この事件が このように大きく取り上げられ、9月26日、普天間小学校で、10月5日には普天間高校で抗議集会が開かれました。
高校生の関心も高く、大会に参加したり、様子を見守っていた生徒も少なくありません。
そんな中、私はこの事件について友人たちと話をするうちに、疑問に思ったことがあります。
米兵に対する怒りはもちろんですが、被害者の少女の心を犠牲にしてまで抗議するべきだったのだろうか。彼女のプライバシーは、どうなるのか。
その気持ちは、今でも変わりません。
しかし今、少女とその家族の勇気ある決心によってこの事件が公にされ、歴史の大きな渦となっているのは事実なのです。
彼女の苦しみ、彼女の心を無駄にするわけにはいきません。私がここに立って意見を言うことによって少しでも何かが変われば、彼女の心がかるくなるかもしれない。そう思いここに立って います。
沖縄で米兵による犯罪を過去までさかのぼると、凶悪犯罪の多さに驚きます。
戦後50年、いまだに米兵により犯罪は起こっているのです。
このままの状態でいいのでしょうか。
どうしてこれまでの事件が本土に無視されてきたのかが、私には分かりません。
まして、加害者の米兵が罪に相当する罰を受けていないことには、本当に腹が立ちます。
米軍内に拘束されているはずの容疑者が、米国に逃亡してしまうこともありました。
そんなことがあるから今、沖縄の人々が日米地位協定に反発するのは当然だと思います。
それにこの事件の容疑者のような動物にも劣る行為をする人間をつくりだしてしまったのは、沖縄に存在する「フェンスの中の人々」、軍事基地内の人々 すべての責任だと思います。基地が沖縄に来てから、ずっと加害はくり変えされてきました。基地がある故の苦悩から、私たちを解放してほしい。
今の沖縄はだれのものでもなく、沖縄の人々のものだから。
私が通った普天間中学校は、運動場のすぐそばに米軍の基地があります。普天間小学校は、フェンス越しに米軍基地があります。
基地の周りには7つの小学校と、4つの中学校、3つの高校、1つの養護学校、2つの大学があります。ニュースで爆撃機 やヘリコプターなどの墜落事故を知ると、いつも胸が騒ぎます。私の家からは、米軍のヘリコプターが滑走路に降りていくのが見えます。
それはまるで、街の中に突っ込んでいくように見えるのです。
機体に刻まれた文字が見えるほどの低空飛行、それによる騒音、私たちはいつ飛行機が落ちてくるか分からない、そんな所で学んでいるのです。
私は今まで、基地があることはしょうがないことだと、受け止めてきました 。
しかし今、私たち若い世代も、あらためて基地の存在の位置を見返してます。学校でも意外な人が、この事件について思いを語り、皆をびっくりさせたりもしました。それぞれ口にはしなかったけれど、基地への不満が胸の奥にあったことの表れだと思 います。
きょう、普天間高校の生徒会は、バスの無料券を印刷して全生徒に配り、「みんなで行こう。考えよう」と、大会への参加を呼び掛けました。浦添高校の生徒会でも同じことが行われたそうです。
そして、今ここにたくさんの高校生や大学生の人が集まっています。若い世代もこの問題について真剣に考えはじめているのです 。
今、このような痛ましい事件が起こったことで、沖縄は全国にこの問題を訴えかけています。私は今、決してあきらめてはいけないと思います。私たちがここであきらめてしまうことは、次の悲しい出来事を生みだすことになるのですから。
いつまでも米兵に脅え、事故に脅え、危険にさらされながら生活を続けていくことは、私は嫌です。
未来の自分の子供たちにも、そんな生活はさせたくありません。私たち生徒、子供、女性に犠牲を強いるのはもうやめてください。
私は戦争が嫌いです。
だから、人を殺すための道具が自分の周りにあるのも嫌です。
次の世代を担う、私たち高校生や大学生、若者の一人ひとりが本当に嫌だと思うことを口に出して、行動していくことが大事だと思います。
私たち若い世代に新しい沖縄のスタートをさせてほしい。
沖縄を本当の意味で平和な島にしてほしいと願います。
そのために私も、一歩一歩行動していきたい。
私たち に静かな沖縄を返してください。
軍隊のない、悲劇のない、
平和な島を返してください
広島市
2005年8月6日
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平和への誓い全文
戦争は人間のしわざです。
戦争は人間の生命を奪います。
戦争は死そのものです。
過去を振り返ることは、将来に対する責任をになうことです。
広島を考えることは、核戦争を拒否することです。
広島を考えることは、平和に対しての責任を取ることです。
これは今年亡くなった前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が1981年2月に、ここ平和記念公園の原爆死没者慰霊碑の前で世界へ発信したメッセージの一部です。
わたしたちは、これまでずっと世界平和の実現を訴えてきました。
しかし、世界では今なお核兵器は存在し、戦争やテロなどが絶えません。そして、わたしたちと同じ子どもたちが銃弾や地雷に倒れ命を失っています。身のまわりではどうでしょうか。子どもたちが命を奪われたり、傷つけられたりする事件が起きています。暴力事件やいじめもなくなりません。
本当に平和な世界を築くために私たちは何をしなければならないのでしょうか。
戦争、争い、いじめ、暴力。これらを起こすのは人間です。人間の心です。だから、命を大切にする心、相手を思いやる心をふくらませていくことが大切です。まずは相手のことを知り、違いを理解すること。そして、暴力で解決するのではなく、話し合いで解決していくことがわたしたちにできる第一歩です。
ある被爆者の方の話を聞きました。
今まで被爆した時のことを人に話したことがなかったそうです。
たとえ、話をしても「あの時のことは誰にもわかってもらえない」と思っていたからです。
しかし、70歳を過ぎて、地元の中学生にあの日のことを話しました。
8月6日に起こったことを、原爆はいけないということを、戦争はいけないということを、どうしても知らせたかったのです。
被爆60周年を迎え、決意を新たにし、わたしたちは、被爆者の方々の願いを受け継いでいきます。
わたしたちは、核兵器の恐ろしさを世界中の人々に訴え続けます。
わたしたちは、ヒロシマを語り継ぎ、伝えていきます。
平和な世界を築くまで。
平成17年(2005年)8月6日
こども代表
広島市立口田小学校 黒谷栞
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平和宣言全文被爆60周年の8月6日、30万を越える原爆犠牲者の御霊(みたま)と生き残った私たちが幽明(ゆうめい)の界(さかい)を越え、あの日を振り返る慟哭(どうこく)の刻(とき)を迎えました。
それは、核兵器廃絶と世界平和実現のため、ひたすら努力し続けた被爆者の志を受け継ぎ、私たち自身が果たすべき責任に目覚め、行動に移す決意をする、継承と目覚め、決意の刻でもあります。
この決意は、全(すべ)ての戦争犠牲者や世界各地で今この刻を共にしている多くの人々の思いと重なり、地球を包むハーモニーとなりつつあります。
その主旋律は、「こんな思いを、他の誰にもさせてはならない」という被爆者の声であり、宗教や法律が揃(そろ)って説く「汝(なんじ)殺すなかれ」です。
未来世代への責務として、私たちはこの真理を、なかんずく「子どもを殺すなかれ」を、国家や宗教を超える人類最優先の公理として確立する必要があります。
9年前の国際司法裁判所の勧告的意見はそのための大切な一歩です。また主権国家の意思として、この真理を永久に採用した日本国憲法は、21世紀の世界を導く道標(みちしるべ)です。
しかし、今年の5月に開かれた核不拡散条約再検討会議で明らかになったのは、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、北朝鮮等の核保有国並びに核保有願望国が、世界の大多数の市民や国の声を無視し、人類を滅亡に導く危機に陥れているという事実です。
これらの国々は「力は正義」を前提に、核兵器の保有を入会証とする「核クラブ」を結成し、マスコミを通して「核兵器が貴方(あなた)を守る」という偽りの呪(まじな)いを繰り返してきました。
その結果、反論する手段を持たない多くの世界市民は「自分には何もできない」と信じさせられています。また、国連では、自らの我儘(わがまま)を通せる拒否権に恃(たの)んで、世界の大多数の声を封じ込めています。
この現実を変えるため、加盟都市が1080に増えた平和市長会議は現在、広島市で第6回総会を開き、一昨年採択した「核兵器廃絶のための緊急行動」を改訂しています。
目標は、全米市長会議や欧州議会、核戦争防止国際医師の会等々、世界に広がる様々(さまざま)な組織やNGOそして多くの市民との協働の輪を広げるための、そしてまた、世界の市民が「地球の未来はあたかも自分一人の肩に懸かっているかのような」危機感を持って自らの責任に目覚め、新たな決意で核廃絶を目指して行動するための、具体的指針を作ることです。
まず私たちは、国連に多数意見を届けるため、10月に開かれる国連総会の第一委員会が、核兵器のない世界の実現と維持とを検討する特別委員会を設置するよう提案します。
それは、ジュネーブでの軍縮会議、ニューヨークにおける核不拡散条約再検討会議のどちらも不毛に終わった理由が、どの国も拒否権を行使できる「全員一致方式」だったからです。
さらに国連総会がこの特別委員会の勧告に従い、2020年までに核兵器の廃絶を実現するための具体的ステップを2010年までに策定するよう、期待します。
同時に私たちは、今日から来年の8月9日までの369日を「継承と目覚め、決意の年」と位置付け、世界の多くの国、NGOや大多数の市民と共に、世界中の多くの都市で核兵器廃絶に向けた多様なキャンペーンを展開します。
日本政府は、こうした世界の都市の声を尊重し、第一委員会や総会の場で、多数決による核兵器廃絶実現のために力を尽くすべきです。
重ねて日本政府には、海外や黒い雨地域も含め高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。
被爆60周年の今日、「過ちは繰返(くりかえ)さない」と誓った私たちの責任を謙虚に再確認し、全(すべ)ての原爆犠牲者の御霊に哀悼の誠を捧(ささ)げます。
「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」
2005(平成17)年8月6日
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