沖縄タイムス

2006年3月22日(水) 夕刊 1・7面
政府、微修正を検討/普天間移設沿岸案
海寄り50メートル移動/名護市案は拒否
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200603221700_01.html
 
【ただ今連載中】戦後60年平和ウェブ
http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/top.htm
 
僕は「辺野古座り込み」が始まった時良くも悪くもすぐ終わると思ってましたが、なんと、座り込みは、700日を超え・・・
東京の政府やマスコミは辺野古を無視し続ける中でも、沖縄米軍の事故や事件は発生し続け・・・
日本政府の態度も二転三転し、アメリカ政府もイラついてる、日本外交にも良くない。
 
・・・・・・
過去のK.N.T.の見解は、ココココを見てください。

1995年10月21日

沖縄県宜野湾(ぎのわん)市にある海浜(かいひん)公園で行われた

8万5千人が参加した沖縄県民総決起大会

「もういや、平和な島を返して」

高校生代表普天間高校3年 仲村清子(すがこ)


 



「ヘリコプターはもう、うんざりです」。


 私はごく普通の高校3年生です。

 たいした言(こと)は言えないと思いますが、ただ思ったことを話します。

 この事件を初めて知った時、これはどういうこと、理解できない。こんなことが起こっていいものかと、やりきれない思いで胸がいっぱいになりました。

 この事件が このように大きく取り上げられ、9月26日、普天間小学校で、10月5日には普天間高校で抗議集会が開かれました。

 高校生の関心も高く、大会に参加したり、様子を見守っていた生徒も少なくありません。

 そんな中、私はこの事件について友人たちと話をするうちに、疑問に思ったことがあります。

 米兵に対する怒りはもちろんですが、被害者の少女の心を犠牲にしてまで抗議するべきだったのだろうか。彼女のプライバシーは、どうなるのか。

 その気持ちは、今でも変わりません。

 しかし今、少女とその家族の勇気ある決心によってこの事件が公にされ、歴史の大きな渦となっているのは事実なのです。

 彼女の苦しみ、彼女の心を無駄にするわけにはいきません。私がここに立って意見を言うことによって少しでも何かが変われば、彼女の心がかるくなるかもしれない。そう思いここに立って います。

 沖縄で米兵による犯罪を過去までさかのぼると、凶悪犯罪の多さに驚きます。

 戦後50年、いまだに米兵により犯罪は起こっているのです。

 このままの状態でいいのでしょうか。

 どうしてこれまでの事件が本土に無視されてきたのかが、私には分かりません。

 まして、加害者の米兵が罪に相当する罰を受けていないことには、本当に腹が立ちます。

 米軍内に拘束されているはずの容疑者が、米国に逃亡してしまうこともありました。

 そんなことがあるから今、沖縄の人々が日米地位協定に反発するのは当然だと思います。

 それにこの事件の容疑者のような動物にも劣る行為をする人間をつくりだしてしまったのは、沖縄に存在する「フェンスの中の人々」、軍事基地内の人々 すべての責任だと思います。基地が沖縄に来てから、ずっと加害はくり変えされてきました。基地がある故の苦悩から、私たちを解放してほしい。

 今の沖縄はだれのものでもなく、沖縄の人々のものだから。

 私が通った普天間中学校は、運動場のすぐそばに米軍の基地があります。普天間小学校は、フェンス越しに米軍基地があります。

基地の周りには7つの小学校と、4つの中学校、3つの高校、1つの養護学校、2つの大学があります。ニュースで爆撃機 やヘリコプターなどの墜落事故を知ると、いつも胸が騒ぎます。私の家からは、米軍のヘリコプターが滑走路に降りていくのが見えます。

 それはまるで、街の中に突っ込んでいくように見えるのです。

 機体に刻まれた文字が見えるほどの低空飛行、それによる騒音、私たちはいつ飛行機が落ちてくるか分からない、そんな所で学んでいるのです。

 私は今まで、基地があることはしょうがないことだと、受け止めてきました 。

 しかし今、私たち若い世代も、あらためて基地の存在の位置を見返してます。学校でも意外な人が、この事件について思いを語り、皆をびっくりさせたりもしました。それぞれ口にはしなかったけれど、基地への不満が胸の奥にあったことの表れだと思 います。

 きょう、普天間高校の生徒会は、バスの無料券を印刷して全生徒に配り、「みんなで行こう。考えよう」と、大会への参加を呼び掛けました。浦添高校の生徒会でも同じことが行われたそうです。

 そして、今ここにたくさんの高校生や大学生の人が集まっています。若い世代もこの問題について真剣に考えはじめているのです 。

 今、このような痛ましい事件が起こったことで、沖縄は全国にこの問題を訴えかけています。私は今、決してあきらめてはいけないと思います。私たちがここであきらめてしまうことは、次の悲しい出来事を生みだすことになるのですから。  

 いつまでも米兵に脅え、事故に脅え、危険にさらされながら生活を続けていくことは、私は嫌です。

 未来の自分の子供たちにも、そんな生活はさせたくありません。私たち生徒、子供、女性に犠牲を強いるのはもうやめてください。

 私は戦争が嫌いです。

 だから、人を殺すための道具が自分の周りにあるのも嫌です。

 次の世代を担う、私たち高校生や大学生、若者の一人ひとりが本当に嫌だと思うことを口に出して、行動していくことが大事だと思います。

 私たち若い世代に新しい沖縄のスタートをさせてほしい。

 沖縄を本当の意味で平和な島にしてほしいと願います。

 そのために私も、一歩一歩行動していきたい。

私たち に静かな沖縄を返してください。

軍隊のない、悲劇のない、

平和な島を返してください