政治犯

星野さんは無実だ
http://www3.cnet-ta.ne.jp/f/fhoshino/Default.htm 
http://blogs.yahoo.co.jp/gkyk0403/ 
星野文昭さんは無期懲役刑に服している政治囚である。罪状は殺人だが、文昭さんは否認している
無論このような事例は星野文昭さんだけではない。だけではないのですよ。
 
京都で沖縄新基地反対を訴える
http://www.labornetjp.org/news/2006/1151202480563staff01
 
反体制デモが悪だとする考え方は大昔からありました。江戸時代でも原始時代でも
体制側は反体制側を抑制したいとの力が当然働きます。
 
僕が幼い頃は京都大学方面で何かドタバタやってた、そして数年に一度くらい何かニュースでみたりしてた実際には毎年かずっとやってたのかもしれないけど、僕が子供の頃は普通にある話でした。しかし今は涼しい状態です。そして僕の身近にも こんな事があって、なるほど こういう風になっていくんだと実感しました。
今は、日本のデモは甘い。日本ではデモウォーク文化は絶滅した。とか言われてる。今のマスコミの報道姿勢に大いに疑問を持つ。今の日本マスコミの姿勢はオカシイ
 
マスコミ = マス・コミュニケーション、Mass Communication.
 
 
僕に悪夢を見せないでください。白昼夢だ。これは長い長い夢なのだ。長い複雑な夢なのだ、流石に僕が見る夢だなぁ超論理的な具体的な辻褄が合ってる夢だ流石に俺だ。ある朝ふと目が醒めるのだ、きっと・・・
 



 嵯峨野高校の昔の文章です。誰かは知りませんが、僕より ほんの少し若い方みたいです。良い文章ですので保存のため転載します。以下

http://www10.plala.or.jp/chili/sugges13.html
1998.11.20   私の母校
 
私の行ってた高校は、京都府立嵯峨野高等学校。地元の公立高校である。
今、私の母校は無い。イヤ、学校自体はあるのだが、もう嵯峨野高校は私の母校ではない。
楽しかったけど、悲しい話。
私のいた頃の嵯峨野高校は一言で言うと「自由」って感じの高校だった。
制服もなかったし、受験受験っていう雰囲気もなかった。ちょうど大学を小さくしたような雰囲気。
私服やったからよく授業をさぼって街に遊びに行ってた。4時間目をブッチして、お弁当を持って近所のマクド
ハンバーガーとアイスティを頼み、弁当を食べ、昼休みが終わるとまた学校へ帰ったり。
朝学校に着くなり、友達に「河原町行かへん?」と言われ、教室に入ることなく遊びに行くこともあった。
先生達は嵯峨野高校出身が多く、自由な校風を守っていきたいって思ってる先生が多かった。
ある程度のブッチは特に責められるわけでもなかったし、逆に先生に「あと何回休んだら赤やぞ、数えとけよ」とか
言われる人もいた。実際、今日休んだら赤がつくって人を、先生に「おい、探してこい」って言われて授業中に何人かで
探しに行ったこともあった。探しに行ったうちの何人かはそのまま授業に戻ってこなかったけど。
勉強よりも行事に燃えるタチで、文化祭や体育祭の頃になると、夜遅くまで準備してた。学校が閉まると自転車で
運動公園まで行って踊りの練習したりして。文体祭が終わると、1ヶ月ぐらいその話で持ち切り。
勉強なんかする訳なくて。おかげで2学期末のテストなんてみんなボロボロやった。
でもみんな仲良かったし、先生とも仲良かった。ブッチしてたけど、学校好きやったし自慢できる学校やった。
私達のクラスは、ミックスホームルームという形態。授業は進路ごとに文系・理系に別れてるけど、ホームルームは
ごちゃまぜにする。なんでそうしたかというと、学校行事を盛り上げる為。と個人的に思う。
理系と文系なんて男女の人数に差があるし、体育祭とか球技大会とかやっても盛り上がらへんやん。
それに、進路を一旦決めてしまうと、ずっと同じ人達と授業も受けるから、他の進路の人達と話す機会が減る。
せっかく何百人と人がいるのに、仲良くなれへんやん。だからミックスホームルーム。
でも、教育委員会の考えは違った。受験モードな高校にしようと色々働きかけた。行事を減らせとか、
文化祭や体育祭を春にしろとか色々言ってきた。で、ミックスホームルームをやめさせようとしたのだ。
教育委員会の考えでは、ホームルームも進路別にした方が先生の指導もやりやすいだろうとの考え。
でもウチの先生達は「そんなに違いはありません」とはねのける。だってせっかくいい校風を変えようとする訳がない。
当然私達も行事が減るなんてもってのほか。だから、全校生徒に署名を集め、生徒の90%ぐらいの署名を校長に
毎年提出した。親達も署名を集めた。つまり、先生・生徒・親が、教育委員会の考え方に反対したのだ。
それだけでも結果は明らかやんか。今のままがええとみんな思ってた。
校長(教育委員会)と、先生と生徒代表とで何度も話し合ったりして、毎年この校風を守ってきてた。
ところが。大人のやることは汚い。なんと、まずは先生からということで、3年がかりで先生を総入れ替えしたのだ。
私がちょうど卒業する頃のことだった。今となっては、私の2コ下ぐらいまでがなんとか今までの嵯峨野高校の雰囲気を
残してたけど、その後の、嵯峨野高校は変わった。国際科を作り、制服にして、校舎も全部建てかえた。
グランドと校舎の位置が変わり、正門の位置まで変わった。昔の面影は何一つ残ってないのである。
私達の母校は無くなった。今高校に行ったところで、懐かしいなんて思わない。
先生達もバラバラになった。先生達も、あの頃の嵯峨野は楽しかったって言ってたし。
もうあんな高校ないやろうな。最高に楽しかっただけに無くなってしまって寂しいって気持ちがとても強い。
私の母校は無くなってしまったのです。ん〜寂しいなぁ。

 



・・・ っで 現実逃避非行のコーナーッ!!!
 
今夜は It's allright
http://www.youtube.com/watch?v=GehuwA_VJ9c
You're the one
http://www.youtube.com/watch?v=6Vz1Nl4JmhU
AIAI
http://www.youtube.com/watch?v=FpRlpHE1WVM
 
無口な気になる子が、もし本を読んでいたら訊いてみよう「なに読んでるの?」って
 

憂鬱
以上、今日は、
宮仕え的なマスコミへの批判と、涼しい市民活動と、鬱な僕を ハニャポニャルハラホレヒレハレ気分で書いてみました。どうやら僕は鬱気分突入のようですわ。